忍たま年代考察①〜推しの生きた時代〜

こんばんは。

 

この度キショブログを立ち上げました、きぬと申します。

 

大学で日本近世の武士の美学と思想について研究しています。江戸時代の歴史と文化が大好きです。

 

積りに積もったオタク好奇心と、大学で唯一培った情報収集力と、笹山兵太夫への執着心で、解釈や学んだこと、調べたことをまとめてブログに残そうかな、と思い、立ち上げました。Twitterの文字数では生きられない。

 

篠山の武家屋敷とかもこの前行ってきたので、そういう社会見学話も綴っとこうかな、と思います。コロナ落ち着いたら近江も行きたいです、コロちゃん、マジ空気読んでね。

 

そして、10年後も忍たまオタクしてる147238642倍絵が上手くなって漫画も描けるようになっている私、最高団兵本の解釈にでもこれを参考にしてください。よろしく!

 

 

 

 

加藤と笹山が生きてる証拠、ゼッテーーーーー掴んでやる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

さて、ブログの始まりは『結局のところ兵ちゃんが生きてたのは一体どの辺の時代なの?』について考えていこうかなと思います。数回に分けて考えてみようと考えてます。よろしくお願いします。

 

第一回目は、年表を照らし合わせて、手短に「多分この辺では」と考えてみました。だって先は長いから…。

 

 

前提として、忍たまの生きた時代についてですが、神・尼子先生が「具体的に何年かは決めていない」(DVD−BOX4特典解説書)と明言されています(インターネッツ調べ)。しかし、本編のセリフなどから、

 

「室町」且つ「戦国時代」

 

ということはわかります。大ヒントにして最難関。滾る。

 

さらにさらに、今回はその前前提として、上記二つの時代の区分について簡単にまとめました。

 

室町時代1338年足利尊氏征夷大将軍就任)〜1573年(幕府滅亡・足利義昭京都追放)。

●戦国時代1467応仁の乱)〜1590(豊臣による小田原征伐、全国統一の軍事活動の終了)。

 

という感じです。

室町時代末期は、戦国時代真っ只中とも言えますね。

 

あと、ソースが見つからなかったので定かではないですが、落乱舞台は「室町末期」だったと思います。確か。

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このことから、

室町末期で戦国時代

ということで、忍たまの舞台は、

1467年(戦国時代始動)〜1573年(室町幕府滅亡)

の、106年間のどこか、と仮定することができるのではないでしょうか。

 

よって、本ブログでは忍たまの生きた時代について『1467〜1573の106年のどこか』という仮説のもと、さらにその106年間の間でより可能性のありそうな年代について言及していきます。

 

※室町・戦国の始終については諸説あるようですが、今回は軍事的な面で唱えられている年代を制定しました。合戦場の描写とかよく見られるし、上層部の政治の動向とかより視覚的にわかりやすいしね…

 

 

クソみたいな考察になりました。脳みそ激ヨワなので、何回も同じことを繰り返してしまう。もう一回言って整理します。

 

 

本ブログでは忍たまの生きた時代について『1467〜1573の106年のどこか』という仮説のもと、さらにその106年の間で、より可能性のありそうな年代について言及していきます。

 

 

ヨシ!

 

 次回は、虎ちゃんやミキティ先輩の愛する『火縄銃(照星さん)から、室町期の鉄砲の伝来・流通などを通して、時代考察を進めてみようと思います。次回は未定ですが、記事をアップしたらTwitterでまたお知らせします。

 

 

見てくださり、ありがとうございました!