忍たま年代考察②〜火器(鉄砲)の観点から〜

お疲れ様です。きぬです。

 

さて、先日に引き続き、今日も兵ちゃんの生きた時代が一体どこだったのか考えていこうと思います。

 

第2回は、『室町期および戦国期に称されていた鉄砲』(主に火縄銃について)から、年代考察を進めてみましょう。がんばるぞ〜!

 

 

↓前回の記事はこちらです。忍たまの舞台は1467年〜1573年なんじゃないか?と考察しました。

karakuri-sense.hatenablog.com

※次回以降も年代考察の際に作品内の色々なヒントを深掘りしていこうと考えています。もしかしたら結論に矛盾が出てしまうかもしれません。総まとめで答えを出すまで、矛盾してもとりあえず情報を揃えてみようと思います。

 

 

さて、作品では、虎若や田村先輩、佐武鉄砲隊をはじめ、火器を扱う個性豊かな最高キャラクターが登場します。これだけヒントがあるなら、決定的な何かがわかる気がします。燃えるぜ!

 

↓今回は以下のような形で進めていきます。

 

①日本での火縄銃の伝来について

②年代別に見る鉄砲の歴史

③鉄砲のメリットとデメリット

④①〜③を踏まえた考察とまとめ

 

では、よろしくお願いします!!!!!

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先日メルカリで見つけたクリアファイルで兵ちゃんが手にしていたもの。へいだ(湯)、一晩中笑ってしまいました。この湯飲み欲しいな。笹山、お前はお笑いの柱になれ。

 

 

①日本での火縄銃の伝来について

 

 まずは、日本への火縄銃伝来についてです。

 

 日本人が最初に火器と遭遇したのは、1274年元寇時、元軍が用いた「てつはう」とされています。しかし、この時に火器が日本に伝来した、という資料は見つけられませんでした。まあ、敵方の武器だしな…見せてくれないですかね…

 

 そんな 日本への鉄砲伝来は、1543年種子島に漂着したポルトガル人が持ち込んだ火縄銃2丁がきっかけとされています。教科書ではこうだった。こうでしたね。

 しかし、今回調査を進めていくと、元寇以降で日本人が火器を体験した記録は1409年まで遡れるという話を発見しました。1543年以前に日本人鉄砲使ってたってこと!?

 

以下に一部引用します。(林屋辰三郎『日本の歴史12 天下統一』)

 

●『碧山日録』

 1468年、応仁の乱のさなか、和州之匠が営中に来て、「発石木」で石を飛ばし、当たったところをことごとく破壊。
 東軍・細川勝元の陣には「串楼・層櫓、飛砲・火槍、戦攻之具」が完全に装備されていた。

⭐︎発石木(はっせきぼく)…応仁の乱で用いられた炸裂弾投射装置。命中率は低くて射程距離や殺傷能力は低かった。

→当時、戦では長槍や弓といった遠距離武器が主力。鉄砲はまだ発射音による馬への威嚇など、補助的な形でしか使われていなかった

 

●小田原の玉滝坊という山伏が、1510年に渡来した鉄砲を堺で見て、これを関東に持ち帰り、屋形氏綱に献上した。
⭐︎1510年時点で、堺に鉄砲が伝来している。献上品にするあたり、まだ珍しい代物だったんですかね。「渡来」というように、国内での生産はまだだったみたいです。

 

●『甲陽軍艦』
 村上義清上杉謙信に「1510年に渡来した鉄砲を50人に持たせ、1人に3発の玉薬をあてがった…しかし、武田晴信との戦には負けた」と語っている。
⭐︎50人に3発渡してたのに。負けた……マジで戦力的には微妙だったんですかね。てか、3回しかチャレンジできないのかなりきついですね。まだ、硝石が希少な品だったということですかね。(後に国内で作れるようになり、一気に鉄砲の普及が進みます)

 

以上から、簡単にまとめます。

 

銃火器自体は1510年には日本に伝来していた。

⇨火縄銃は1543年に種子島伝来。

⇨1543年火縄銃伝来以前、1510年にすでに堺に鉄砲が取引されており、戦力として用いられていた。

⇨しかし、戦力的には微妙(?)だった。

 

②年代別に見る銃火器の歴史

次は、忍たま舞台と仮説を立てている1467年〜1573年の間を30年ごとに区切って、『鉄砲』の遍歴をざっくり見てみます。

※本章では、鉄砲全体で見ています。火縄銃については『火縄銃』と記載。それ以外は『鉄砲』と記載。

 

1467−1500

・1468 応仁の乱

  ⭐︎中国から輸入されていた初期の鉄砲。威力が弱かった。また、火薬の材料である硝石の入手が日本で手に入らなかったために難しかったらしく、火器の使用率は低いものだった。

1500ー1530

・1510 甲陽軍鑑

  ⭐︎村上義清上杉謙信に「1510年に渡来した鉄砲を50人に持たせ、1人に3発の玉薬をあてがった…しかし、武田晴信との戦には負けた」と語っている(前章参考)。未だ、戦力としてはイマイチだったか…?わかりませんが…

・1512 堺商人の橘屋又三郎が国内生産開始

  ⭐︎古来から古墳築造のために鍛冶屋や鋳物師が多く住んでいた堺は日本最大の鉄砲産地となり戦国大名に鉄砲を売りさばき、大きな利益を上げた。さらに滋賀県の国友村にも鉄砲の生産地は広がる。→日本の匠的に銃を鋳るのは結構簡単だったみたいで、大量生産できてたらしい。強!

1530ー1573

・1543 種子島に火縄銃伝来

・1549 黒川崎の戦い

  ⭐︎日本で初めて火縄銃が実戦に持ち込まれたとの、最古の資料存り。

・1549 加治木城攻め

  ⭐︎この戦いで使用されたのは、ポルトガルで献上された火縄銃の現物とされてます。

・1550 第二次川中島の戦い

  ⭐︎東国甲斐(現在の山梨県)の武田軍で火縄銃300挺が用意された。

・1558~ 武田信玄が軍役として鉄砲隊を賦課

  ⭐︎戦力になると認めた!?てことか…?武田信玄の動向を見ると、一足先に鉄砲の威力に目をつけてたみたいです。

 

※鉄砲が主力となったのは1575長篠の戦いとされている。

 

以上から、

 

・堺で鉄砲の国内生産が始まったのは1512年。以降全国に鉄砲が普及した。

・1543年に種子島に火縄銃が伝わり、1550年には戦で大きな戦力として大量に取り扱われた。

 

⇨学園で火器を扱うのは、戦力として認められ国内生産が始まり鉄砲が手に入りやすくなった1512年以降が妥当だと考えられる。

鉄砲の利便性に気づいた後にさらに高性能の火縄銃が手に入り用いられたとも考えられるので、火縄銃が普及してすぐの世界線の可能性としても十分考えられますね。

佐武衆は火縄銃の普及以前にも存在していたのか、火縄銃を途中から取り入れたとなるともっと解像度上がると思うので知りたすぎる。狂いそう。

 

 

 

③鉄砲のメリットデメリット

前章で少し触ましたが、戦国時代の火器の普及には『硝石が国内で作れるようになった』ことがデカいそうです。これ以降、日本全国に普及し、戦に大きな影響を与えたようです。

 

●鉄砲のメリット

・爆音で敵をビビらせ、敵の士気を削ぐ

・弓よりは威力が強い

・他の武術と異なり、槍と同様短期間での訓練で使いこなせるようになる

・上手い人は当たる(そっか…)

●鉄砲のデメリット 

・射程距離や威力が弱い

・常に火縄で火を用意しなければ射撃できない(雨降ったら終わる、風吹いたら詰む)

・発射速度が遅い

 

また戦国時代に紀伊国(現在の和歌山県三重県南部)を中心に活躍した忍者集団「雑賀衆」は、火縄銃を多数所持して強大な武力を誇っていたことで知られている。

 

⇨ようは、『使い方次第で重要戦力になる武器』ということですね。なので、虎ちゃんの実家がマジで強い戦闘集団ってことで劇場版での超かっこいい登場シーンとして会場沸かせてたってことがわかりますね。頼もしすぎる。若太夫、お疲れ様です!

 

 

 

④まとめと考察

 忍術学園がいつから「鉄砲は戦力になる!学園に取り入れよう」と踏んで火薬委員会を設立したり学園に取り入れたのかはわかりませんが、その効果を知ってるから取り入れたのか…戦場を経験している先生方、鉄砲とやり合ったことなどあるんですかね。流石です。

 

 さて、長くなりましたが、上記の調査を踏まえ、最後に『劇場版アニメ 忍たま乱太郎 忍従学園全員出動!の段』の話を例に挙げ、作品における鉄砲についてと、舞台の年代考察をします。

 

・映画冒頭での戦いで、銃声だけが響き、足軽たちは槍で応戦していた。

 ⭐︎調査通り!

・佐武衆到着のみんなの盛り上がり様

 ⭐︎マジでデカい戦力だから、虎若のパパだからというわけではない(T・M先輩は違うかもしれないが…)

・「怪我人続出で戦う気なんかなくしているだろう」

 ⭐︎銃声と大砲を打ち込むことで敵型の戦力を削ぐ、鉄砲を用いた戦国時代の戦略を匂わせる台詞。

・『園田村てお金持ちなんだなあ』

 ⭐︎戦闘集団を雇うのには金がかかる。きりちゃん……(摂津国の戦事情や懐事情については今後調査してみます)

・オオマガトキ城の鉄砲隊登場シーンの足軽と、最期猪名寺さんの治療を受ける足軽が一緒。治療を受けながら「村に帰って、田んぼやらんと…」と言っていたことから、日頃は農民の兵士が鉄砲を使っている。

 ⭐︎調査通り!鉄砲は短期間で訓練を詰む事ができる。

(・作品内で火薬めちゃくちゃ使ってる

 ⭐︎国内の火薬を使用していた?硝石の話、何かの回で見た気がする…火薬委員で管理する理由は、火薬が貴重というのもあるが「児童が危険だから」という理由が大きいのでは。

(・キャラクター・火縄銃の名手の照星さんの存在

  ⭐︎「火縄銃が存在している」→1543年以降が妥当。ただ、照星さんがいつから火縄銃の名手なのか?雑渡さんは36歳だから、近い年齢なんですかね。個人的にちょっと年下くらいとかだと嬉しいです。19で売れっ子フリーの利吉先輩参照に、もしタメだとすると照星さんが19歳時点で少なくとも20年前には火縄銃あったことになるし、そしたら1560年あたり以降とか、もっと特定できるんですけど…前経歴不明の男…(涙)照星さんについては、今後一回調べてみたいです!ミステリアス・ビューティ・照星

 

また、舞台の年代考察については、前回の考察でまとめた1467年〜1573年の中でも、

 

・1512年以降国内で鉄砲の生産が始まり全国に普及した(手に入れやすくなった)

・1550年戦で数百の鉄砲を用いた戦法があり、劇場版でも用いられていた

・特に1543年の火縄銃伝来以降、特に1549年あたりからデカ戦力として用いられた。

 

以上から、

 

火器(鉄砲)の面から考えると、1512年以降、特に1543〜49年あたり以降だと辻褄があいやすいという結論

 

に至りました。

 

 

T・M先輩の火器(小型カノン砲ファルカン砲、カノン砲小型火砲、カルヴァリン砲)についてや、個人的にウケた臼砲のキューちゃんには、またそのうち改めてまとめたいと思います!美少年が使うゴツい武器、ロマンすぎる。

 

 

超長くなりました、もし見て下さった方いたら、拙文失礼いたしました…

みてくださり、ありがとうございました!

 

 

【参考文献】

『劇場版忍たま乱太郎 忍術学園全員出動!の段

 

https://www.touken-world.jp/tips/51520/

 

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